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源流

6月7日、火曜日。
 手術を終えた母は、静かに目を閉じていた。お疲れさま、と声を掛けた。目を開け僕の顔を見て、ああ、もう病室に帰って来たのかと、呟いた。
 左の脇腹が痛み出し、母は顔をしかめた。看護師さんが痛み止めの点滴を追加してくれた。痛み止めですから、もうすぐ楽になるからね、そう看護師さんが函館のイントネーションで言ってくれるだけで、母親は安堵したみたいに目を閉じた。
 函館の言葉は優しい。帰る度に思う。イントネーションだけではなく、気遣って声を掛けてくれる気持ちが現れているように思う。それは自分が失った、又は自ら手放したものでもある。だから、その言葉にただ感謝をする。

 ベットの傍に居て母親の顔を見ている。手術のために入れ歯を取っているから唇の周りが落ち込んで、見たことも無い老人の様な顔をしている母。とても小さな母。寒がりで、真夏でも靴下を履いている母。
 手の甲に注した点滴の針が、皮膚を奇妙な形で持ち上げている。体に繋がれたメーターが心拍数と血圧をモニターに表示する。血圧が落ち着いてきたから大丈夫だよ、そう母に話しかける。水が飲みたい、と母が応える。ちょっと待って、聞いてくるから。
 ステーションにいる婦長さんに、水を飲んで良いですか?と尋ねる。医師の確認を取ってきます、そう言って笑顔でその場を離れ、笑顔で戻って来る。自分で飲めるなら大丈夫ですよ。そう言って彼女は何度も頷きながら、笑顔を点す。

 全身麻酔をかけて左脇のリンパ腺に転移した癌を切除することにしたのは、先月の検査で明らかになったからだ。
 去年、乳癌の手術を終えてから検査は定期的に行っていたけれど、実際にしこりがあると分かったのは、母自身の触感が最初だった。かなり大きくなったリンパ腺のしこりは、明らかに癌であると診断された。
 二度もその診断を受けた母は、もうこれで手術を最後にしたいと、手術前に医師からの説明を受けた時に、思い詰めた様に、自らに言い聞かせる様に、しかし笑いながら話した。

 水を飲んで暫く落ち着いて眠った。病室を抜けて、遠い家で待つ父親に電話をするために電話室に入った。難聴の父に何度も何度も、大声で、いま、おわったから、と伝えた。兄にメールを送り、お蔭様で無事に終わりました、と伝えた。
 病室に戻り、読みかけている本を読み続けた。ドラッカーは、マネジメントを通して、人と関わることのコアな部分を語っていた。彼が40年前に書き記したビジネスの思想は、病室の母に付き添う僕の内側に生き方として流れ込んだ。
 母が目を開けた。口が渇いているみたいに掠れた声で、僕を気遣った。水を飲む?と聞いた時、吐きたい、と母が言った。
 洗面器。点滴の針を注した手でベッドの下を母が指差す。立ち上がり、そこにある洗面器を手にする。中にある濡れたタオルとボディシャンプーを、包んでいたビニール袋に入れる。タオルは後で乾かそう。母親の顔の左側に洗面器を置いて体を少し左向きに起こす。母が緑色のさらしらした液体を吐き出す。薬か、それとも他の何かの色。体を通り過ぎる栄養素、薬、不純物、何物でもない物。地上を巡ってここに辿り着いた物質の姿と色を見る。母の背中を叩く。もっと、静かに、咳込みながら少し呆れるように母が言う。あ、ごめんごめん、そう言って、少し笑いながら静かに背中をさする。
 助かった。ステーションに声をかけて吐き気止めを点滴に追加してもらい、落ち着いた頃に母親が言う。良かったね。静かに言葉を返す。
 母親に子供のころ何回、何十回、背中をさすってもらったのだろう。子供のころに熱を出した時のことを思い出す。そのうちの、たった1回を返しただけ。そう思って、母親の顔を静かに見る。

 窓の外には函館競馬場の芝生が広がる。夕日は静かに傾き、巻き戻せない時を知らせる。

 看護師のナガイさんが血圧を計りに来る。テキパキと仕事をこなす彼女にも、少し疲労の跡が見える。分からないことを聞きに来る後輩を指導する時や、排出された尿を処理してくれる時の横顔の中に。その姿を見て、母や多くの患者の命がこの人達に支えられているのだと痛切に思う。
 病室を出ていく時、彼女達は僕に向かって笑顔でお辞儀をしていく。その気遣いまでも、彼女達は仕事として何日も何日も繰り返している。そのことを、尊いと思う。

 アナウンスが流れる。面会時間が終わりを告げる。それじゃ、行くから。そう言って母の手に触れる。居てくれて、とても助かった。そう母は繰り返す。病室を後にする。そして、忘れたことを思い出して引き返す。母のベッド脇のナースコールのスイッチを、手の届きやすい場所に変える。それじゃ、お休みなさい。
 ステーションの夜勤担当の看護師さんに声を掛ける。後はよろしくお願いします。お辞儀をして、用意してもらった家族室に向かう。エアコンも何も無いところだけれど、なるべく近くに泊まった方が良いと思い、ここに泊まることを病院にお願いした。
 借りた布団を敷いて横になった。しんと静まり返った病院の中で一人だけ違う空間にいるような気がして、不思議な気持ちがした。母の体から取り出されたリンパ腺を思い出した。ステンレスのパレットに入れられたそれを前に、ここが一番大きな腫瘍です、と医師が指し示してくれた。予定通り、手術は終わりました。

 翌朝7時過ぎに母親のもとを訪れた。体に繋がれたメーターは外されていた。朝の光がカーテンを始まりの色に染め上げていた。母は元気そうに笑った。
 朝食が運ばれてきた。母はそれを食べた。牛乳は飲めないから飲んでくれと、僕に言った。いいから、飲まなくても、食べなくても。それが看護師さん達への情報になるから。だから、きちんと残さなきゃだめだよ。そう言って、母の気遣いをなだめた。食事をしている母を見ている時、一度だけ泣きたくなった。顔がくしゃくしゃになりかけた。同じ病で亡くなった親友のことを思い出したから、かも知れない。
 じゃ、そろそろ行くね。そう言って、母のもとを離れた。お互いに手を振った。ステーションに挨拶をすると、お疲れさまでした、と云われた。いえいえ、それは貴方方です、と思いながら、お辞儀を返した。
 エレベーターを降り、待たせていたタクシーに乗った。空港までの10分ほどの間、函館の街を眺めた。明るい空の下で穏やかに佇む町並みの中にも、様々な思いがあるけれど、その日の朝は、穏やかな朝日に包まれていた。
 僕は中学を出てから親元を離れて、この街の学校に通っていた。ここで育ち、離れ、今では遠い街で暮らしている。そんな自分に対しても、母はいつまでも母であり、育てられた故郷は少しずつ形を変えながらそこにあり続けている。僕を生み出し、育んだ人と場所はここにあるのだと、静かに思う。
 飛行機の飛び立つ音が、窓の外に近づいて来る。青空の光りの中に、一筋の雲が、すうっと、伸びていく。
# by hikiten | 2011-06-13 02:02 | 日々

照らす光

 先週末は大阪にいた。今は北海道にいる。
それぞれの場所で、それぞれのことを、それぞれの人に、渡して、受け取って、また、誰かに渡す。そうして時間と記憶は積み重なり溶け合って、過去と未来の間で生きていく気持ちの礎になる。幾つもの、ありがとうと、気をつけてを胸に、昨日を明日に溶かしていく。

5月27日、金曜日。
 大阪での製品検査を終え、大正駅で取引先と別れた時、時計は17時30分を指していた。均一にかかる柔らかなシャワーみたいに、しっかりと雨が降っていた。見知らぬ電車の中から、何処かで見たことのある町の風景を眺めた。
 大阪駅で傘を買った。どんな物でも隠せるくらいの大きな傘。待ち合わせ時間まで少し間があった。ソフトバンクのショップで携帯の充電をしてから、ゆっくりと雨の中を歩いた。
 阪急電車梅田駅、紀伊國屋書店入口の向かいにある宝塚ホテルのパン屋さん。その前にたどり着き、友人を待った。
 週末の喧騒が周りの空気を振動させていた。その振動は、僕を象る皮膚の外側で不規則に続いていたが、内側では静寂が続いているように感じられた。雨のせいかもしれない。
 こんにちは。待ち合わせ場所に立つ友人を見つけ、声を掛けた。物静かで綺麗な視線を投げかけ、彼女は微笑んでこくりとお辞儀をした。
 彼女はあまり大きくない声で行き先を口にし、そこで良いですか、と問う。彼女の形の良い顎と白い頬を見つめながら、はい、そこに行きましょうと応える。互いの傘を開き、雨の中に歩みを進める。
 駅近くの建物の地下にあるバーに入り、ドイツとメキシコのビールで乾杯をした。豊富なビールメニューを見て、上から順番に頼みましょうと言って笑った。
 前々から彼女に聞きたかったことを問うと、静かな語り口で時々微笑みながら彼女は答えてくれた。
 4年に及ぶ福岡での単身生活のこと、それを終えてパートナーと過ごしている京都での生活のこと、大学で人に教える職業のこと、黒人音楽から受け取った感激と価値のこと、福岡の街で緑色の自転車を発見する観察眼のこと。
 こちらから質問したり、話したりするとき、彼女は口に付けようとしたグラスをテーブルに戻し、相手の目を真っ直ぐに見て聞く。その姿から、誰かから教わったことを自分で引き受け、それを実践していける人なのだと思う。そしてその姿勢で、周りに影響を与えることができる人でもあると、気付く。
 福岡にいた時、外から大阪を見たことについて、彼女は話す。それまで当たり前と思っていたことを、シャッターを閉ざすみたいに受け入れない環境に身を置き、得られたこと、手放したこと、それらを経て身についたバランス感覚のこと。
 口にすることで整理されることがある。思考回路が整然としている人ほどその効果は高いけれど、身を律することが強い人ほど、口に出して言うことをためらう。
 彼女は何かを選び取ろうとしていると思った。その前でじっくりと考えている個性や感性を目にしていると、この人が選ぶことはきっと大丈夫なのだろうと、思った。
 帰りの新幹線のことは気にしていなかった。どうにかなると思っていたし、慌ただしさで得られないことの方が気掛かりだった。そうして、大阪出張は1泊を伴うことになった。東京行きの最終が21時台だと、後で分かったけれど、それは話の流れからしても、とても無理な時間だった。
 お店を出て、泊まれそうなホテルを教えてもらい、彼女と別れた。それじゃ、お気をつけて。帰り道のお守りになるように、その言葉を手向けた。

 ホテルにチェックインしたのは、12時を少し回ったあたりだった。少し街を歩くために外に出掛けて、MELAというワインバーのお店を見つけて入った。そこに4時間もいることになるとは、思いもしなかったけれど。

 朝が近づき、光が身を包む。いつか見たと思う光景だけれど、二度と同じものはない。そのことは分かっているけれど、既視感の中に薄い安息を見付けようとし、膨張する光りの中に視線を向ける。
 友人がにっこりと微笑みながら語る姿を見ている。その表情の奥にある、彼女が幼かったころの姿が、一瞬、現在の彼女に重なる。彼女の中にあるひたむきな姿は、遠い昔から続いてる。
 過去は光の中にあり、手の届かないところから、現在を透過して未来を照らしている。彼女が生きる今の時間が、光で暖まるよう、光によって眩まぬよう、願いを重ねる。
 瞼を閉じて、何度も繰り返してきた浅い眠りに落ちていく。疲れも喧騒も、一緒に引き連れて誰も知らない場所に横たわる。
# by hikiten | 2011-06-08 11:02 | 日々

思いの息吹き

 願うこと、又は祈ることを、大切に思う人達に手向ける。言葉の誤差を携え、言葉と思いの温度差を見つめながら。
 時に、表現する形の完成度を求めすぎて、伝わってしまう思いを見落とす。いくら取り繕っても、補っても、真に伝えたい思いは伝わらず、届かない。そして、思いが消失する姿を見つめることになる。
 しかし、失われた空間から再生するものの姿がある。それは、不屈の思いやり、と呼ぶべきもの。
 失っても摩耗しても、大切だと思うから、願い、祈る。形は潰れても、果実は再び芽を息吹く。
# by hikiten | 2011-05-27 13:46 | 日々

静かな朝

 5年前に手にした雑誌にある、佐内正史の写真を見る。やっぱり、この人の写真は好きだ。何でもない写真で人を泣かせる。彼の写真は、あまりにも個人的な思いの部分に手を伸ばしてくる。角田光代さんが評していたけれど、それは本当なのだと思う。
 今日もまた一日を生きよう。何気なくも唯一の時間。
# by hikiten | 2011-05-14 10:02 | 日々

新しいはじまり

 朝7時、メールが入る。
お誕生日おめでとうございます。

 思いがけず、とても嬉しい。暖かな気持ちになる。大切な仲間であり、同志と思う友人からのお祝いメッセージを読み返す。

 42年前、北海道の田舎町に産まれた。
 15歳で親元を離れて函館の学校(高専)に行き、20歳で卒業した。
 就職して、東北の秋田に3年、横浜に17年、生活している。結婚して13年が過ぎている。
 早いものだと思うけれど、空洞だった日々は無かったと思う。

 この一年、何をしようか、何を目指そうか。
 未来を思う時は、いつだって、楽しい。
# by hikiten | 2011-05-11 22:24 | 日々