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Sweet Child of Mine

 映画の最後に男がリングに向かう時に会場に流れた音楽が頭の中でぐるぐるとまわり、観終えた後もその時の男の笑顔が忘れられなかった。映画を見た次の日、GUNS N' ROSESの1stアルバムにあるその曲をキッチンに置いたカセットデッキで聴いた。子供たちはテレビを観ている、静かな土曜日の朝。

「レスラー」

 男はリングに上がる前に脱いだシャツをぶんぶんと回して客席にいるファンの声援に応えている。Oh,Sweet Child of Mine、アクセル・ローズが歌い上げる。イジーとスラッシュのツインギターが響き渡る。これから命がリングの上で消えてしまうかもしれない男の顔が穏やかな笑顔で満たされる。

 その音楽が流れていた89年の時代の空気を思い出そうとしたけれど、今を生き延びている自分から伸ばされる感覚ではもう届かないところに去ってしまっていて、はっきりと思い出せなかった。
 それでも、その時代を過ぎて今の時代を生きるものとして、男の姿に少なからず共感を抱いた。八方塞がりの現実に同情する気持ちと、自分の醜い姿を見せられた時に感じる嫌悪感、それらを同時に「共感」した。
 生き続けることは、何かを手放し続けることなのかも知れない、否、そうしなければ生きられないのかも知れない、と思った。
 本当に下らないことで大切なものを失うことってあるのだと思った。その下らなさも自分自身であり、その下らなさは他の誰のせいでもないと思った。

 金曜日。
 映画館を出た後、これから家に帰る、と電話をした。妻が、気をつけて、といつもの様に言った。駐車場から車を出し、家に帰る道に車を走らせた。戦争映画が楽しいのはそこに劇場の「出口」があるからだ、以前見た映画の中で聴いたセリフを思い出した。そう、映画が楽しいのは、そこに「出口」があるからだ。でも、この映画を見た後とてもせつない気持ちがするのは、その出口が今に繋がっているからだ、と思う。轟々と時が流れ足早に人々が通り過ぎた後にぽつんと自分が残っている様に感じる「今」が、これから先に訪れるかも知れない、という予感のようなものが、その出口にぶら下がっていた。
 帰り道、昔の仕事で携わった橋の架け替えをした道を通り過ぎた。今から12年前。結婚をする時にこの橋で仕事をしていたことを思い出し、時間の流れるのは早いものだと、年老いた体を持つもののように思った。あの時に、今の生活を想像出来てはいなかった。いや、もしかしたらその時に限らず、想像出来たように生きたことなんて一度も無かったのではないか。そして、きっとこれからもそうなのかも知れない、と、強く、思った。
 アーチ型に曲線を描く橋の半分を登る。橋の上の街灯が自分の載る車を照らし出す。あの時に一緒に仕事をした人達の顔が光の中に見える。そしてそれらを忘れてしまうように橋の半分をゆっくりと滑り降りる。
by hikiten | 2009-06-28 18:14 | 映画

受け渡される価値

彼が死んでファンの人が泣いているのをテレビで見た。
平日の昼間に搬送された病院の前に集まって泣いている彼等は本当に彼の死を悼んでいるのだろう。
そして、まだ生きられるのに死んでいった他のアーティストのことを思い出した。直感でしかないけれど、もしかしたら、彼を死に追いやったものは、死んでいった他の人達を追いやったものと同じものではないのか、と思った。

僕はマイケルジャクソンのファンではないから、アルバムも多分持っていないし、持っていたとしても20年以上前にアルバムをテープにダビングしたものだと思う。もし、彼が来日してもライブのチケットを取ろうとはしないだろうし、何処かに行って姿を見ようともしないだろう。
それでも、彼が死んだというニュースを聞いて、随分と驚いた。人の死は、人間の関係性に決定的な刻印を与えるものなのだと改めて思った。たとえそれが希薄なものであっても。

彼は全米No.1になったシングルを13曲持っていた。でも、最後にNo.1になったのは1995年で、それ以降彼の楽曲はチャートのトップに輝くことはなかった。それ以降(或いはそれ以前から)、彼をスターとして定着させ続けていたものは数多くのゴシップであり、彼を見続ける「視聴者」はそのゴシップをマイケル・ジャクソンという名前に吸収させ、重ね合わせることで、彼の存在を受け入れ続けてきた。
でも、彼のことを一人の人間として受け入れてきた人は果たしていたのであろうか。ジャクソンファイブのマネージャーでもあった父親から、求めいていた愛情を受けられなかった幼少期。もしかしたら、その時からずっと、彼は孤独であったのかも知れない。
それでも、彼がマイケルジャクソンであることを「視聴者」は求めていた。マイケルは彼等の「声」がよく聞こえていて、その上でスターであり続けていたのだろうと思う。彼が死んだのは、求められていながらも、孤独であったからだ。

そして、ふと我に返って思う。同じ様なことを自分はしていないであろうか、と。他のアーティストや隣人や身近な人たちに、何かを求めながらも突き放していないであろうか。まだ生きられるのにアーティストが死ぬ。まだ生きられるのに誰かが死ぬ。その時に、いつもこのことを思う。
生命として生まれ生きている、生きていられる、生きていける。そのことは、死よりも、圧倒的に素晴らしい。
by hikiten | 2009-06-27 08:02 | 日々

日常の回復、過去の滅失

13日、土曜日。
仕事から帰ると、家の中ではたまさんだけがじっと座って僕を待っていた。
前足の手首を肉球を隠すように折り曲げて座り、眩しそうな目で帰ってきた自分を見上げている。ただいま、たま。そう言って彼の頬の縞模様を指先でなぞる。ぐうるぐうると喉を鳴らして彼は目を閉じる。
いつものように出迎えてくれる彼を見て、はて、うちの子供たちは何処に行ったのだろうか?と思いを巡らす。携帯を覗き込むと、今日も仕事に出掛けた妻からメールが入っている。子供たちは、近所のショッピングセンターに来ている倉木麻衣を観に、友達の家族と出掛けている、のだという。何だ、急いで帰ってこなくても良かったんじゃん、そう思いたまさんを見やると、そんなこというなよ、という目で、僕を見上げて目を伏せた。

先週、仕事でまたトラブルがあって、事故処理に時間と労力を大きく割かれた。事が起こって何日かは、寝ても落ち込み、起きても重圧が消えなかった。それでも日常は止めどなく流れ寄せ、僕はその中で手足を動かして沈まないように体を浮かせ、口を開けて呼吸をした。
その事実を受け入れられたのは1週間を過ぎたあたりで、後にはそれを経験した自分だけが残された。その自分は、どことなく異質な感じがした。
大した事が無くて良かった、そう皆が言ったが、事が起こったのは大したことであるというのは変えられない事実だ。そのことを時間が経ってから漸く受け入れた。
言葉では表しきれない端数は、どんな仕事でもあるものだと思う。

もうすぐ皆が帰ってくる。そのことを思いながら、寝そべって角田さんの小説のクライマックスを読む。隣では、たまさんが自分に寄り添って目を閉じている。時々、思い立ったように立ち上がって、小説を読んでる自分の頬に体を擦り付けて通り過ぎる。小説を読み終わり、床の上に大の字になって、読み終えた世界といま目の前にある世界を溶かして混ぜていく。
午後の時間、窓の外の声を聞きながら、少しだけ、眠りに墜ちる。まだ、少しだけ、時間は、ある。

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by hikiten | 2009-06-13 22:02 | 日々