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北海道の同級生からやっと返事があった。彼女は中学の時の同級生で、函館市内の病院に勤めている。停電になって、入院患者のケアに奔走していたことだろうと思う。それが一区切りついたのか、やっと声を届けてくれた。その気遣いが嬉しかった。知らせてくれてありがとう。




北海道の地震があった。兄が札幌の郊外にいた。昨年まで単身赴任で何年か関東に来ていたけれど、それを終えてやっと自分の家族との生活に戻ったところだった。兄の住む町で震度5強だと知り、その数字が心配をかき立てた。電話をしても繋がらず、LINEを送っても開封が付かず、災害伝言ダイヤルに登録しても何も返事がなかった。停電で通信の根幹がダメになっていたから仕方がなかった。


丸二日経った土曜日の午前、やっと兄の家の電話が繋がった。義姉が出て、声を聞いた時にほっとした。何も聞かなくても、声のトーンで大丈夫だと伝わった。でも、兄は家に帰っていないと言った。最初の地震の時からずっと会社に泊まっているという。もしかしたら、今日帰るかも知れない。そう、半分諦めている様に義姉が言った。兄は大手通信会社に勤めているから、きっとそうだろうと思っていた。一週間くらいしたら、少しは落ち着くのかも知れない。過労で倒れないように、そう伝えてください。そう言って、電話を切った。




兄から電話を待つ間、会社の読書仲間の人に兄が札幌にいることを話したら、ぽろぽろと泣いてくれた。見知らぬ兄のために心を砕いてくれる人がいる。そのことを目の前で見て、人の心の深さを思い知らされ、何故か本当に悲しくなった。兄にこのことを知らせたいと思った。それでも、それができなかった。




今日は911日。ニューヨークのWTCに旅客機が飛び込み、それが崩れる瞬間を見ていた日。その数日後、アメリカの人に書かれた詩がネットの中に流れていた。




最後だと分かっていたなら




そうタイトルに記された詩は、失われた大切な人に手向けられたものだった。




最後だと分かっていても、この日常の中から大きく飛び越えて何かを成すことはできないかも知れない。最後だと知っていても、いつも通りに過ごすことしかできないかも知れない。


僕と兄は、これまでとこれからをどんな風につないでいけるだろう。もう、そのために残された時間はあまり無い様に思う。北海道と神奈川に住み、父と母を見送った後に顔を合わせる機会はほとんどない。兄が何を思い、いまを過ごしているのか、少しだけでいいから、その声を聞いてみたいと思う。




いつか、北海道で。


by hikiten | 2018-09-12 06:33


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