一昨日の夜のことだけど、未だにうまく言葉に出来ずにいる。でも、黙っていてもいずれ潰えてしまうから、少しずつ言葉を連ねていこうと思う。 あんな時間は、これから先、絶対に体験できないだろう。そんな確信のような、呆然とした加害者の自失のような気持ちが渦巻いている。 何か、欲のようなものが潰えてしまい、32年間の年月がただ流れていくのを見ているようだ。降り注ぐ雨が舗装を伝い下水に流れていくみたいに、それはただ通り過ぎるのを見送るしかない。悲観はない。感情という分かりやすい生命の起伏は感じない。ただ流れる音楽は、これまでとこれからの時間を、肯定も否定もせず捉え続け、力強く脈打っている。 高校生の頃、はじめてこのアルバムを聴いた。何度も何度も聴いて、ライブ映像を集めたRattle and Humで確信に変わった。U2の音楽を手にした僕は、外の世界と渡り合うことを目指した。いつでも彼らの音楽はここにあって、対峙する世界を何度でも捉える力になった。 外の世界との対峙を繰り返し、年月を重ね、やがて自らの中に世界が巣作ろうようになった。対峙していたもの自身が自己であり、その許容と入れ替わりに命を手にするような選択が続いた。後悔はないが、生きていくことを選び続けていく覚悟だけで、立っていたように思う。 その間、アダムのベースラインは静かに側を流れていた。 彼らのステージが終わって2日が経つ。それでも、まだあのライブの中にいる。そう感じている。これまでとこれからは、変わらず僕の中にある。いつか死が訪れ、すべてが消え去っても、僕はその中に居続けると思う。 I believe in the Kingdom Come Then all the colours will bleed into one Bleed into one But yes, I’m still running やがて神の国は来る 全ての色はひとつになる でも、僕は走り続けていく そう彼らは歌う。 神は訪れることはなく、全ての色はそのままにある。でも歌は止むことはない。歌い続ける限り。 僕は、そのことを彼らから手渡された。 #
by hikiten
| 2019-12-09 08:01
| 音楽
北海道の同級生からやっと返事があった。彼女は中学の時の同級生で、函館市内の病院に勤めている。停電になって、入院患者のケアに奔走していたことだろうと思う。それが一区切りついたのか、やっと声を届けてくれた。その気遣いが嬉しかった。知らせてくれてありがとう。 北海道の地震があった。兄が札幌の郊外にいた。昨年まで単身赴任で何年か関東に来ていたけれど、それを終えてやっと自分の家族との生活に戻ったところだった。兄の住む町で震度5強だと知り、その数字が心配をかき立てた。電話をしても繋がらず、LINEを送っても開封が付かず、災害伝言ダイヤルに登録しても何も返事がなかった。停電で通信の根幹がダメになっていたから仕方がなかった。 丸二日経った土曜日の午前、やっと兄の家の電話が繋がった。義姉が出て、声を聞いた時にほっとした。何も聞かなくても、声のトーンで大丈夫だと伝わった。でも、兄は家に帰っていないと言った。最初の地震の時からずっと会社に泊まっているという。もしかしたら、今日帰るかも知れない。そう、半分諦めている様に義姉が言った。兄は大手通信会社に勤めているから、きっとそうだろうと思っていた。一週間くらいしたら、少しは落ち着くのかも知れない。過労で倒れないように、そう伝えてください。そう言って、電話を切った。 兄から電話を待つ間、会社の読書仲間の人に兄が札幌にいることを話したら、ぽろぽろと泣いてくれた。見知らぬ兄のために心を砕いてくれる人がいる。そのことを目の前で見て、人の心の深さを思い知らされ、何故か本当に悲しくなった。兄にこのことを知らせたいと思った。それでも、それができなかった。 今日は9月11日。ニューヨークのWTCに旅客機が飛び込み、それが崩れる瞬間を見ていた日。その数日後、アメリカの人に書かれた詩がネットの中に流れていた。 最後だと分かっていたなら そうタイトルに記された詩は、失われた大切な人に手向けられたものだった。 最後だと分かっていても、この日常の中から大きく飛び越えて何かを成すことはできないかも知れない。最後だと知っていても、いつも通りに過ごすことしかできないかも知れない。 僕と兄は、これまでとこれからをどんな風につないでいけるだろう。もう、そのために残された時間はあまり無い様に思う。北海道と神奈川に住み、父と母を見送った後に顔を合わせる機会はほとんどない。兄が何を思い、いまを過ごしているのか、少しだけでいいから、その声を聞いてみたいと思う。 いつか、北海道で。 #
by hikiten
| 2018-09-12 06:33
言葉は人を殺すことがあるけれど、音楽は人を殺さない。
以前、自分が記したことだけれど、音楽への憧れと共に、自分への戒めとして、言葉を綴る時には何かを殺すことをしていないか、この言葉を思いながら気をつけるようにしている。それでも、結果として、そうなってしまうことはある。それは、誰かの生き生きとした気持ちである時もあるし、大切な過去であることもある。それでも言葉を放つことを止められないのは、人としての罪であり、生きている事実そのものであろうと思う。 人が大切にしていることについて、認めたり関わらなかったりすることは難しいことではない。その多くはその人の中で育まれ、大切にしてくれる環境の中で大切さを増長していく。でも、それに対して違和感を感じた時、それをそのままにして嘘をついて認めることができない場合が、ある。 それは、何でも言い合えるのが友達としての証とかいう、なまやさしいものではなく、もっと生きることの芯に近づいたものであると感じている。これを言ったら友達でいられなくなるかもしれない、という強迫観念と、友達の尊さが、ぎりぎりと言葉を締め付ける。でも、それを放たなければ、その人を大切に思うことそのものを失ってしまうと直感する瞬間、言葉を放つ。その人と疎遠になった後でも、その人には生きる未来があることを漠然と感じながら。 結果は分からない。随分と時間が経った今でも、その是非が分からないこともある。それでも、生きることそのものに背を向けている訳ではないと思える。 だから、言葉を、伝える。伝え続ける。 #
by hikiten
| 2012-07-14 11:46
| 日々
お花見で酔い潰れてしまった僕は、彼女に電話をして助けてくれと言った。僕は自分がダメな時に、彼女を頼っていた。それは、今までもそうで、これからもそうだと思う。なるべく、そうならないようにしたいと思うけれども。
彼女はそう呼ばれるのを嫌うけれど、彼女は僕にとって親友だと感じている。他と違って度合いが増しているという意味ではなく、かけがえのない友達として、少しの誤差をはらんでいることを覚悟の上で、その言葉を充てている。 彼女は言葉を遣う人だ。短くも的確な表現と、その中に秘める世界観。それらは全く違う人生を歩みつつも、同じものを見ているという共感を呼び起こす。彼女の綴る言葉は砂漠と砂浜を併せ持ち、夜の月を静かに湛えている。 彼女と知り合ったのは、偶然の賜物。新宿のとあるバーで、たまたま同じ日に居合わせた。言葉を交わし、仲良くなりたいと思った。 二度目に会ったのは、ミラーボールサーカスへ彼女に誘われたとき。彼女は滅多にしないメイクをして品川駅に現れた。友人の結婚式の帰りだといって、華やかさを控えようとしていた。でもどうやってもその華は隠しようがなかった。彼女はとても綺麗だと思った。僕は、今でも変わらずそう思い続けている。 彼女がどこに行こうとも、僕はここで彼女を待とうと思う。僕も少しずつ歩んでいるから、互いの関係も少し変わるかもしれないけど、その変化も楽しみだと思う。 彼女が旅立つ前に、また会いたいと思う。何気ない日常の一部として、二度と無い時間を共有したいと願う。 それが、僕の求めているもの。 #
by hikiten
| 2012-04-08 20:42
| 日々
2011年12月27日。
病院の入口近くに停まるコカ・コーラの車両が邪魔して、到着した救急車が道脇の雪にタイヤをとられて立ち往生している。動かない救急車から救命士が降りてハッチバックを開ける。病院から看護師達が駆け寄り、担架を運び出す。薄いグリーン色をした彼等のマスクが、雪の中に映える。 仰向けになって呼吸器をくわえている彼が運ばれてくる。強く降り出した雪が裸の上半身にひたひたと落ちる。胸部は心臓マッサージによりゴムみたいに容易く上下している。灰色の顔。白髪の眉。彼の容態の深刻さよりも先に、彼の深い老いを感じる。 家族の者です。こちらに視線で問いを投げかける看護師に、彼との関係を説明する。救急患者の搬入口から病院に入る。テレビで見たような機材が並ぶ処置室に担架が運び込まれ、ドアが閉められる。こちらでお待ち下さいね。道南のイントネーションの看護師に廊下の長椅子へ促される。杖を突いた母が兄に付き添われて廊下に歩み出る。 もうだめだ。彼が倒れてからの一部始終を見ている彼女の口から、言葉がこぼれ落ちる。 去年の6月、父は入院した。乳癌の手術のため母が入院していた期間、一人でいた彼は家の中で倒れた。近所の人が2日後に見つけるまで、彼はそのまま家の中にずっと横たわっていた。体の運動機能に障害をもたらす病が彼の身に既に宿っていたが、そのことを彼は誰にも言わなかった。運良く近所の人に発見されたが、動けずに横たわっていた2日間に体の下側になっていた左の手足が、部分的な壊死を含む重症を負った。 函館で集中治療を経て深刻な状態を回避した後に、彼は半年間の入院を余儀なくされ、12月の半ばに漸く退院した。長い治療とリハビリ期間を彼は凌ぎ、杖を突いてだけれど自力で歩けるようになった。彼は雪掻きさえこなした。父さん、元気になったね、そう近所の皆が言ってくれた。 しかし、彼は食べ物を喉に詰まらせて倒れた。帰省する僕と兄が家に到着する1時間半前、さほど大きくない大きさの餅が彼の呼吸を止めた。新聞を小さく飾るニュースみたいな現実が、大きく彼にのしかかった。病のせいで、彼はあまり上手く食べ物を飲み込めなくなっていたという。詰まった、と言って胸を指差し、彼は母の前でゆっくりと後ろ向きに倒れた。 火葬した後に遺骨を木箱に詰める。足から頭の方へ、順番に。僕は細かい骨まで拾おうとして身を傾ける。熱を帯びた陶器製の火葬台が、覗き込む顔に暑さをもたらす。綺麗な喉仏があります、こんなに綺麗なものはなかなか無い。そう火葬場の人が言う。頭蓋骨が集められて薄く積まれている。白いかけらの中に、彼の面影はもう見つけられない。 葬儀場に向かうバスの助手席に遺骨を抱いて座る。雪は止み、青空が顔を出している。焼いたばかりの遺骨から伝わる熱を、手と脚に感じる。それはあたたかい。でも、ぬくもりではない。断絶。永遠の別れ。その象徴。そして、今感じられる現実。 遺骨を納めた木箱から煌々と伝わる熱を感じながら、僕は生きることを思う。生きよう、ただそれだけを感じ、それだけを決める。父を焼いた炎がもたらす熱は、僕の体をあたため続ける。 死亡届を役所に提出し、年金の手続きをした。保険証を返し、公共料金の口座変更手続きと預貯金の相続手続き、生命保険の解約手続きを確認した。北海道にいる間に、それらの手続きを出来る限りしておこうと思った。それらのことを無心に行うことで、体に現実を染み込ませていくことができた。社会に死を認知させることで、社会から自らに現実を知らせてもらえるような気がした。遠くから聞こえてくる、終わりのチャイムみたいに。それらの手続きは、そのためにあるのではないかと思えた。 彼の心臓マッサージを14時までします。心臓が動いても植物人間になる可能性が高いです。心臓の鼓動が戻らなかったら、、もう肋骨が二本折れてますし、患者さんも辛いだろうから、マッサージをやめさせてもらいます。そう医師が告げる。それを納得するだけの時間は十分経っている。母はそれに同意する。 目の前で心臓マッサージが止められる。口から呼吸器が外される。医師と看護師が頭を下げる。母が父の額を撫でて、冷たい、と言う。僕が半開きの父の目に手を触れて瞼を閉じさせる。彼の決定的な冷たさを指先に感じる。 雪だから、なかなか救急車が来なかったんだ。6月に父を助け、12月に救急措置を試みてくれた近所の人が振り返って言う。札幌から駆け付けた義理姉が棺桶の中を覗き込み、泣き続ける。母は姪の顔を見て、安心したように涙を流している。兄は葬儀の挨拶で声を震わせて涙を堪えている。 それらのことが決定的な何かをもたらしたのか、今はまだ分からない。でも、僕は生きることを決めた。そして、生きることに関わってくれる人達をきちんと見つめていこうと思った。対峙し、向き合い、話しかけていく。そのことだけで、今は十分だと思える。 葬儀場からの帰り。車の中で助手席に座り、冷たくなった遺骨を抱いたまま、父の死を悼んでくれた人を思い出す。遠くから駆け付けてくれた人、電報を打ってくれた人、メールをくれた人、ただじっと見守ってくれた人。それらの人達のことを思い、泣いた。父親の髭か痛いと言って座っていた彼の膝の上から笑いながら逃げた子供のころを思い出して、泣いた。涙は暫く流れ続ける。運転席にいる葬儀社の人が黙ってそれを聞いている。バスの後ろでは、母親と兄夫婦が寛いだ様子で何かを話している。 バスの前方には暗闇が広がっている。白く降り積もった雪が、ヘッドライトの光をうすく反射させている。道は暗い灰色の空と混じり合い、遠くで溶け合っている。 やがて雪が止み、月の光が夜空を照らす。星が遠くで瞬く。その時が来るのを、僕は知っている。 #
by hikiten
| 2012-01-03 01:33
| 日々
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